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広島地方裁判所 平成4年(ワ)1083号 判決

原告

甲野花子

甲野次郎

甲山春子

原告ら訴訟代理人弁護士

小笠豊

被告

日本赤十字社

右代表者社長

山本正淑

右訴訟代理人弁護士

森脇正

主文

一  被告は、原告甲野花子に対し、金二〇二五万八九九二円及びこれに対する平成三年九月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野次郎及び甲山春子に対し、それぞれ金九六二万九四九六円及びこれに対する平成三年九月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その八を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告甲野花子に対し、二三六〇万円及びこれに対する平成三年九月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を、原告甲野次郎及び同甲山春子に対し、それぞれ一一二〇万円及びこれに対する平成三年九月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告甲野花子の夫で、同甲野次郎及び同甲山春子の父親である甲野太郎が、被告の設置に係る広島赤十字・原爆病院において胆嚢摘出術を受けたところ、手術ミス等により腹腔内出血を起こし、出血性ショックにより死亡したと主張し、原告らが被告に対し、医療契約上の債務不履行ないし不法行為を原因として、損害賠償を求めている事案である。

一  基本的事実関係(以下、事実認定に供した証拠は、当該事実の末尾に記載する。証拠の記載のない部分は、当事者間に争いのない事実である。)

1  当事者

(一) 原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は、甲野太郎(昭和五年一二月四日生れ、以下「太郎」という。)の妻であり、原告甲野次郎(以下「原告次郎」という。)及び同甲山春子(以下「原告春子」という。)は、太郎の子である。

(二) 被告は、広島赤十字・原爆病院(以下「被告病院」という。)を開設して医療業務を営むものである。

2  太郎が被告病院を受診し、入院した経過

太郎は、平成三年八月一七日、旅行先の島根県安来市で激しい腹痛を訴え、同市内の日立安来病院で手当を受けた(甲二、乙一、原告花子本人)。

太郎は、同月一九日、被告病院内科で診察を受けたが、その時点で痛みはなかった。

太郎は、同月二六日、再び被告病院内科で診察を受けた結果、胆石症及び胆嚢炎と診断され(胆嚢炎とも診断されたことについて、乙一)、早期に手術することを勧められた。

太郎は、同年九月二日、被告病院の外科を紹介され、診察を受けるとともに手術の説明を受け、同月一〇日、被告病院の外科に入院した。

3  診療契約の成立

太郎と被告は、遅くとも右の入院時点において、被告が医療機関として最善の注意義務を尽くして太郎の治療に当たる旨の医療契約を締結した(以下「本件医療契約」という。弁論の全趣旨)。

4  太郎に対して施行された手術の概要及び経過

(一) 太郎に対して施行された手術(以下「本件手術」という。)の概要

手術日時 平成三年九月一三日午前九時三〇分ころから同日午後零時三五分ころまで(手術時間について、乙二、証人B)

術前診断 胆石症及び胆嚢炎

術式 胆嚢摘出術

麻酔 全身麻酔

術者 A医師(以下「A医師」という。)及びB医師(以下「B医師」という。なお、以下、両医師を「担当医師」という。)

助手 C医師(以下「C医師」という。)

(二) 本件手術の経過

最初、A医師において執刀した(証人B)

全身麻酔下に仰臥位で手術を開始した。

上腹部正中切開(剣状突起約二センチメートル下方から臍上部約五センチメートル上方まで約七センチメートル)を加え、腹腔内に入った。

太郎は、肥満(身長一五九センチメートル、体重六七キログラム)で皮下脂肪が厚く(約四センチメートル)、腹腔内の視野が非常にとりにくかったため、皮膚切開をさらに下方に約二センチメートル延長し、切開部に開創器及びリトラクターを装着した。

腹腔内では、腹水及び癒着は認められなかった。

胆嚢は、著しく腫大・緊満しており、胆嚢鉗子によって把持できない状態であり、胆石は、右のような胆嚢炎状態によって胆嚢壁が肥厚していたため、触知できなかった。

肝臓から胆嚢を剥離する操作は、肝門部における視野が不十分であるため、胆嚢底部から逆行性に(乙六の二、証人A)、胆嚢床からの剥離を進めることとした。

胆嚢炎のためか、肝臓からの側副血行路の発達が著しいため、胆嚢床からの剥離は、ツッペル及びペアン鉗子を用いて鈍的に行ったが、出血しやすかった。

慎重な操作で胆嚢床からの剥離を終え、カロー三角の部位(肝下面、胆嚢管及び総肝管で構成される三角部位)に向けて胆嚢の剥離を進めた(乙六の二、証人A)が、脂肪組織の発達及び胆嚢壁の肥厚が著しいため、胆嚢管の同定は極めて困難であった。

胆嚢管を同定するため、ツッペル及びペアン鉗子を用いながら胆嚢管周囲の脂肪組織を少量ずつ剥離していったが、脂肪組織の溶解が甚だしく、C医師による視野出しも困難で、術中操作はなかなか進行しなかった。

さらに胆嚢の剥離操作を続け、胆嚢底部からカロー三角の部位までの五分の四ぐらいを剥離し終わったところ、肝十二指腸間膜の背後から(乙四の一、六の二、証人B及び同A)突然動脈性の出血を見た。

そこで、A医師からB医師に術者を交替した(証人B)。

すぐさま止血を行おうとしたが、胆嚢が妨げとなり、視野が確保できなかったため、一時的にガーゼで圧迫止血を行い、ある程度同定された胆嚢管を結紮切離し、胆嚢を摘出した。

圧迫止血を解除したところ、出血部位は、総胆管後面からで、肝動脈又は胆嚢動脈からの出血と思われた(乙五)。

ケーリー鉗子で止血を試みようとしたが、肝十二指腸間膜も多量の脂肪組織で覆われており、容易に止血できなかったため、再度ガーゼで圧迫止血を行った。この時点で相当量の出血が認められたため、輸血を行いながら止血操作を実施するのが安全と考え、輸血確保(クロスマッチ)ができるまで、約一時間圧迫止血を行いながら待機した。

待機中、剣状突起から臍直上まで皮膚切開を広げた。

濃厚赤血球一単位を急速輸血しながら、肝十二指腸間膜にテープを通し、プリングル法を行った後、圧迫止血を解除し、四―〇ナイロン糸で出血部位を縫合止血した。

そして、四〇〇〇ミリリットルの生理食塩水で腹腔内を洗浄し、肝門部において出血がないことを確認した。

その後、ペンローズドレーン一本をウインスロー孔に挿入し、腹壁を層々に吻合し、手術を終了した。

(三) 本件手術中の太郎の臨床経過は、別紙臨床経過書中の九月一三日午前九時三〇分から同日午後零時三五分までの欄に記載のとおりである(乙二、四の一、六の二、証人B及び同A)。

5  本件手術後の太郎の臨床経過及び同人の死亡

(一) 本件手術後の太郎の臨床経過は、別紙臨床経過書中の同日午後一時一〇分以降の欄に記載のとおりである(乙二、四の一、証人B)。

(二) 本件手術が終了した際、原告花子は、担当医師から、摘出された胆石と胆嚢を見せられたが、胆石は、小指の先ぐらいの小さな石であった。

太郎は、担当医師と看護婦に付き添われて病室に戻ってきたが、意識はあり、少しは話ができた。

太郎は、本件手術当日(平成三年九月一三日)午後二時ころ、「暑い、喉が乾いた。」などと訴えた。

太郎は、同日午後四時ころ(甲二)、眠ったようになった。

同日午後五時ころ、看護婦が太郎の血圧や呼吸を調べ、担当医師を呼んだ。

同日午後五時三〇分ころ(甲二)、担当医師は、原告花子に対し、家族を呼ぶように伝えた。

同日午後六時三〇分ころ、原告次郎が被告病院に到着したところ、担当医師から、かなり危険な状態であること、手術は成功であったこと(甲二)、手術中に大量の出血があったこと、太郎が心臓病の持病をもっていたこと、また心臓の発作が起きたら助かりにくいこと等を説明された。

同日午後九時ころ、原告らは、担当医師から、考えられる可能性はいろいろあるが、はっきりしたことは分からないこと、手術中の出血のために大量の輸血をしたこと、止血剤を投与したためアレルギーが起こったらしいこと(甲二)、肝臓と胆嚢が癒着していたためかき取ったが、そこから少しずつ出血しているらしいこと(甲二)、かなりの薬物を投与したため心臓に負担がかかったこと(甲二)、助かる見込みはほとんどないこと等を説明された。

(三) 太郎の死亡

翌日の同月一四日午前二時五二分、太郎の死亡が確認された。

死亡診断書によると、直接死因は心不全、その原因はショック、手術の主要所見は、胆石及び胆嚢炎とされている。

原告らは、担当医師から、それまでと同様、太郎の死因は分からないこと、手術がきっかけで死亡したことは間違いないこと、肝臓と胆嚢が癒着しており、手術中に大量出血があり、大量に輸血したこと等の説明を受けた。

担当医師は、原告らに対し、太郎の死因を調べるため解剖させてほしい旨述べたが、原告らは、これを断った。

そして、太郎の腹部に腹水(血性腹水)がたまってかなり膨れていたため、同日午前三時三〇分ころから同日午前四時三〇分ころにかけて、腹水を取る処置が行われた。

二  争点

1  被告病院の担当医師に太郎の治療について医療契約上又は不法行為上の過失(注意義務違反)があったかどうか。

2  右1が肯定された場合、右過失と太郎の死亡との間に因果関係があったかどうか。

3  右1及び2が肯定された場合、原告らが被った損害額

三  争点に関する当事者の主張

1  原告ら

(一) 医療契約上又は不法行為上の過失

(1) 手術操作ミス

被告病院の担当医師は、本件手術中、胆嚢動脈、肝動脈又は門脈を誤って損傷し、約二二〇〇ミリリットルもの大量出血を起こした。手術中に大量出血があったことから、胆嚢動脈、肝動脈又は門脈を損傷したことが推認され、また、カロー三角の部位は、胆嚢摘出術に当たってこれらの動脈の損傷に注意すべきデインジャーポイントとして教科書に指摘される部位であることから、これらの動脈を損傷したことについて操作上の過失が推認されるというべきである。

(2) 止血処置の不適切

ア 出血点を確認しなかった過失

右のとおり、本件手術中、約二二〇〇ミリリットルもの大量出血があったことから、損傷部位は、胆嚢動脈、肝動脈又は門脈と推認されるので、手術終了に際しては、血管を露出し、出血点を確認した上、血管縫合して完全な止血をすべきであった。ところが、被告病院の担当医師は、血管を露出せず、出血点を十分確認しないまま出血点近傍の軟部組織とともに縫合止血し、止血操作を終えた。

イ 縫合糸が太すぎた過失

被告病院の担当医師は、四―〇ナイロン糸で右のような縫合止血を行った。しかしながら、胆嚢動脈、肝動脈等の中小動脈は、より細い五―〇ないし六―〇ナイロン糸で縫合されるのが通常であり、四―〇ナイロン糸は太すぎる。すなわち、細い血管を太い縫合糸で縫合止血したことになり、後にトラブルが生じて再出血するおそれが十分にある。

(3) 輸血の不適切

前記のとおり、本件手術中、約二二〇〇ミリリットルもの大量出血があったが、手術記録及び麻酔記録によれば、本件手術中の輸血量は約七八〇ミリリットルであり、輸血量が不十分というべきである。このため、後記のような出血性ショックを助長したと考えられる。

(4) 術後の観察及び処置の不適切

前記のとおり、本件手術中、約二二〇〇ミリリットルもの大量出血があったことから、カルテにおいては、本件手術の終了に当たって、「術後出血に注意)と注意書きがなされている。

カルテにおいては、ドレーン(なお、ドレーンは、複数本入れるべきであった。)からの浸出液について、太郎が病室に戻った後の本件手術当日(平成三年九月一三日)午後一時一〇分ないし午後一時四〇分ころにおいて、ブリーディング八四グラムと記載され、同日午後二時三〇分ころにおいて、術後総計二〇四グラムと記載されている。

また、太郎の血圧は、同人が病室に戻った後の同日午後一時一〇分ころにおいて、六二/―脈拍触れにくいに低下し、その後やや回復したものの、同日午後五時一五分ころにおいて、再び四二/―触知不能にまで低下し、同日午後六時四〇分ころ以降は血圧測定ができないほどに低下している。

さらに、太郎の血液検査の結果は、本件手術前の同年八月一八日において、ヘモグロビンが16.7グラム/デシリットルで、ヘマトクリットが50.4パーセント、同月一九日において、ヘモグロビンが15.8グラム/デシリットルで、ヘマトクリットが46.2パーセント、同年九月一一日において、ヘモグロビンが16.1グラム/デシリットルで、ヘマトクリットが48.2パーセントであった。そして、本件手術後のヘモグロビン及びヘマトクリットの推移は前記(別紙臨床経過書)のとおりである。

これらの事実関係に照らすと、本件手術後、太郎に腹腔内出血があったことは明らかであり、本件手術当日午後五時一五分ころにおける急激な血圧の低下は、出血性ショックと考えられる。

したがって、被告病院の担当医師としては、出血性ショックの可能性を疑い、超音波検査を行うとか、創部を少しピンセットで開いて中を観察するとか、血液検査を頻繁に行うとか、眼瞼結膜の状況をよく観察するとか、出血についての観察をもっと緻密にすべきであった。そして、出血が確認された場合には、直ちに開腹止血処置をすべきであった。

(二) 太郎の死因について

右(一)のとおり、太郎の死因は、出血性ショックと考えられるところ、被告病院の担当医師に右(一)のような医療契約上又は不法行為上の過失(注意義務違反)がなければ、太郎の死亡という結果は避けることができたというべきであり、両者の間には相当因果関係があるというべきである。

もっとも、後記のとおり、被告は、手術侵襲、薬剤投与等の種々の要因により、WPW症候群から上室性頻拍となり、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)を来し、心原性ショックにより太郎が死亡するに至った旨主張するが、前記のとおり、本件手術後、太郎に腹腔内出血があったことは明らかである一方、同人が突然上室性頻拍を発症したという直接の証拠はない。

なお、ボルタレン座薬(ジクロフェナクナトリウム、非ステロイド性鎮痛・抗炎症剤)がショックの原因となる可能性が稀にないわけではないが、その確率は極めて低いものである。

(三) 原告らの損害

以上、(一)及び(二)によれば、被告病院の担当医師の過失(注意義務違反)により、不完全な治療を受けた結果、太郎が死亡するに至ったものであるから、被告は、同人の死亡につき、本件医療契約に基づく債務不履行責任を免れない。また、被告病院の担当医師の所為は、同時に不法行為にも当たるから、被告は、民法七一五条一項により不法行為責任を免れない。

太郎の死亡によって原告らが被った損害は、次のとおりである。

(1) 逸失利益(請求額二二〇〇万円、原告花子について二分の一の一一〇〇万円、原告次郎及び同春子について各四分の一の各五五〇万円)

太郎は、死亡当時六〇歳であったが、建具製造業を営み、平成二年八月以降は株式会社組織にして、自らは代表取締役として、月給四〇万円をとっていた。そこで、就労可能年数を八年、生活費控除割合を三割として、太郎の逸失利益を算定すると、二二〇〇万円を下らない(480万円×《1−0.3》×6.589=2213万9040円)。

(2) 慰謝料(請求額二二〇〇万円、原告花子について二分の一の一一〇〇万円、原告次郎及び同春子について各四分の一の各五五〇万円)

(3) 墳墓・葬祭費用(請求額一〇〇万円、原告花子についてのみ)

(4) 弁護士費用(請求額五〇〇万円、原告花子について二六〇万円、原告次郎及び同春子について各一二〇万円)

2  被告

(一) 医療契約上又は不法行為上の過失の不存在

(1) 手術操作について

前記のような本件手術の経過に照らすと、仮に、被告病院の担当医師において胆嚢の剥離操作を行っているうち、総胆管後面に位置する肝動脈又は胆嚢動脈(なお、正確にいえば、後記のとおり、胆嚢動脈の起始部である。)を損傷したとしても、その原因は、主として胆嚢動脈が炎症等によって脆弱になっていたことにあり、いわば不可抗力ともいうべきであって、明らかな手技的ミスが存したとは考えられない。

なお、前記のとおり、原告は、カロー三角の部位が胆嚢摘出術に当たって胆嚢動脈、肝動脈又は門脈の損傷に注意すべきデインジャーポイントとして教科書に指摘される部位であることから、これらの動脈を損傷したことについて操作上の過失が推認されるべきである旨主張するが、原告の主張のとおりであるとすれば、デインジャーポイントとして指摘された部位に何らかの損傷が発生すれば、手技的に全く問題がなくても、その機序を証明し得ない限り、法律上の過失が肯定されることとなり、不都合である。

(2) 止血処置について

ア 出血点の確認

前記のとおり、被告病院の担当医師は、肝十二指腸間膜にテープを通し、プリングル法を行った後、圧迫止血を解除した。そして、出血点を探り、胆嚢動脈の起始部(固有肝動脈から胆嚢動脈が分岐する又のところ、固有肝動脈の右側壁)と確認した。そこで、誤って固有肝動脈自体を止血のため結紮してしまうと、肝臓に注ぐ動脈血が全く途絶えてしまうことになり、肝障害を来すので、固有肝動脈の右側壁のみを血管縫合法で縫合したものであり、出血点を同定して止血処置をしたことは明らかである。

そして、被告病院の担当医師は、プリングル法を解除しても出血がないことを確認し、さらに、前記のとおり、四〇〇〇ミリリットルの生理食塩水で腹腔内を洗浄し、肝門部において出血がないことを確認した上、閉腹したものであって、止血効果は十分得られている。

イ 縫合糸の太さ

右のとおり、出血点は、胆嚢動脈の起始部(固有肝動脈から胆嚢動脈が分岐する又のところ、固有肝動脈の右側壁)であったところ、前記のとおり、被告病院の担当医師は、四―〇ナイロン糸で右部位を縫合止血した。確かに、右部位を縫合止血するには、四―〇ナイロン糸よりも細い五―〇ナイロン糸の方が適しているという見解もあり得るが、肝切除等多数の症例経験をもつ被告病院の担当医師がこれまで繁用し、手技的に慣れている四―〇ナイロン糸を使用して血管縫合を行い、実際に止血効果が確認されているのであるから、四―〇ナイロン糸が右部位の縫合止血に全く適さないとは考えられない。

(3) 輸血について

太郎の総出血量は、多くとも約二二〇〇ミリリットル(しかも、これは通常の出血だけではなく、脂肪組織のくずれや浸出した組織液を含んだものである。)であり、尿量は約二六五ミリリットル(時間当たり約六〇ミリリットル)、胃管チューブの排泄量は約二〇〇ミリリットルであった。そうすると、不感蒸発を除いた太郎の排泄量は、合計約二六六五ミリリットルであったこととなる。

他方、太郎に対して実施した輸血の成分は、赤血球濃厚液(全血四〇〇ミリリットル採血により赤血球分のみを抽出したもので、赤血球は全血四〇〇ミリリットルに相当する。)であるところ、これを麻酔終了時点までに三パック輸血し、四パック目を輸血途中であった。そして、本件手術後にも術中とは別途に赤血球濃厚液の輸血を三パック実施している(したがって、手術記録及び麻酔記録において、本件手術中の輸血量が七八〇ミリリットルと記載されているのは誤りである)。また、輸液についても、輸血前に代用血漿剤サビオゾールを一〇〇〇ミリリットル使用したほか、合計で約二八〇〇ミリリットル行っている。

したがって、太郎に対する輸血・輸液量が総量として不足であったということはない。なお、このことは、前記のような本件手術中の太郎の血圧や脈拍から見ても裏付けられるものである。

(4) 術後の観察及び処置について

被告病院の担当医師は、前記のような本件手術の経過から見て、特に太郎に出血がないかどうかを念頭において処置に当たった。

まず、前記のとおり、術後の十分な観察を行うべく、その装着部位としては最適とされているウインスロー孔にドレーンを装着したが、このドレーンからは、出血後洗浄した一般の手術症例と同様の排液が出ていたのみであり、一本のドレーンでも十分に機能していた。

また、太郎の血圧は、同人が病室に戻った後の本件手術当日午後一時一〇分ころにおいて、六二/―脈拍触れにくいに低下したものの、その後回復し、同日午後五時一五分ころにおいて、四二/―触知不能にまで低下するまでの間、安定していた。

さらに、太郎の血液検査の結果は、同日午後五時三五分において、ヘモグロビンが15.7グラム/デシリットルで、ヘマトクリットが40.8パーセントであり、出血を示すようなデータではなかった。しかも、眼瞼結膜の観察でも貧血は認められず、太郎の腹部は柔らかく、膨隆も見られなかった。

これらの事実から、被告病院の担当医師は、同日午後五時一五分ころにおける急激な血圧の低下は、後記のような心原性ショックと判断したものである。

なお、前記のとおり、原告は、超音波検査を実施していれば、さらに確実な診断が可能であった旨主張するが、実際問題として、術後の患者に対して超音波検査を実施したからといって、どの程度正確な所見が得られるか疑問というべきである。

(二) 太郎の死因について

右(一)の(2)ないし(4)のような事実に照らすと、太郎の死因が出血性ショックであるとは到底考えられない。

結局、太郎の死因は不明であるとしかいいようがないが、最も考えられそうな太郎の死因は、心原性ショックである。すなわち、手術侵襲、薬剤投与等の種々の要因により、WPW症候群から上室性頻脈となり、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)を来したということである。

そして、前記(別紙臨床経過書)のとおり、本件手術当日午後四時三〇分ころ、太郎が「暑い、暑い。」と訴えたため、被告病院の担当医師がボルタレン座薬五〇ミリグラムを投与したが、これが直腸内で融解、吸収され、その効果が発現するまでに通常三〇分ないし四〇分ぐらい要することと前記のとおり同日午後五時一五分太郎の血圧が急激に低下したこととを照らしてみると、ボルタレン座薬による副作用が大きく関係していることも否定できない。

なお、太郎が最終的に腹腔内出血を起こしたことは否定できないが、これは、同人が肥満体型であるため、同人に対して心マッサージを実施するに当たって、その効果を高める必要上、標準体重者に対して実施する場合に比較して、胸壁圧迫力を強めなければならず、これが胸壁圧迫点直近の肝臓等周辺臓器に不測の圧迫衝撃と臓器位置の変動を反復して与えてしまうこととなり、腹腔内出血を惹起した可能性が高いというべきである。

第三  争点に対する判断

一  争点1及び2について

1  本件手術中の出血について

(一) まず、血管損傷部位について検討するに、前記のような本件手術の経過に、証拠(乙二、四の一、六の二、証人B、同A及び同D、鑑定)を総合すれば、本件手術中の出血の原因となった血管損傷部位は、肝動脈右枝又は胆嚢動脈であったと認めるのが相当である。

もっとも、証拠(鑑定)によれば、血管損傷部位が門脈であった可能性も否定できないことが認められるけれども、前記のとおり、本件手術中の出血は動脈性の出血とされているところ、証拠(鑑定)によれば、門脈からの出血は、出血した血液の色調や拍動性の有無によって、動脈からの出血と識別できることが認められるから、血管損傷部位が門脈であったと認めるのは相当でない。

(二) 次に、本件手術中に肝動脈右枝又は胆嚢動脈が損傷した原因について検討するに、証拠(鑑定)によれば、右の原因としては、高度の炎症による組織の脆弱性、手技的な問題等が考えられることが認められる。

ところで、証拠(乙四の三、鑑定)によれば、カロー三角の部位は、肝動脈右枝及び胆嚢動脈の走行部位であり、胆嚢摘出術に当たってこれらの動脈の損傷に注意すべきデインジャーポイントとして教科書に指摘される部位であることが認められる。

しかしながら、前記のような本件手術の経過に、証拠(鑑定)を総合すれば、炎症等によって組織が脆弱になっていたため、肝動脈右枝又は胆嚢動脈が損傷した可能性も否定できないことが認められ、A医師の手術操作に明らかな手技的ミスがあったと認めることは困難である。

そうすると、被告病院の担当医師に手術操作ミスがあった旨の原告らの主張は採用できない。

2  出血に対する処置について

(一) 証拠(乙二、証人B及び同D、鑑定)によれば、本件手術中における太郎の総出血量は約二二〇〇ミリリットルであったこと、約二二〇〇ミリリットルという出血量は、胆嚢摘出術における出血量としては多い方に属するものであること、手術中に血管を損傷し、出血した場合の処置としては、二次損傷や後出血を防止するため、血管を露出して出血点を確認し、確実に止血する必要があることが認められる。

(二) そこで、まず、出血点の確認について検討するに、前記のとおり、被告病院の担当医師は、肝十二指腸間膜にテープを通し、プリングル法を行った後、圧迫止血を解除した。そして、証拠(乙四の一、六の二、証人B及び同A)に弁論の全趣旨を総合すれば、右の後、出血点を探り、胆嚢動脈の起始部(固有肝動脈から胆嚢動脈が分岐する又のところ、固有肝動脈の右側壁)と確認したと認めるのが相当である。

もっとも、証拠(乙二、五、鑑定)によれば、本件手術の手術記録中には、出血の状況が記載されているものの、出血した血管については図示されておらず、「肝動脈か胆嚢動脈と思われた。」と記載されているのみで、その詳細な記録がないことが認められるけれども、証拠(証人A)によれば、本来右のような記載をすべきところ、これを失念したものであることが認められる一方、証人Bは、胆嚢動脈の起始部が損傷した状況を具体的に証言しているから、右のとおり出血点の確認がなされたと認めるのが相当である。

(三) 次に、止血操作について検討するに、証拠(鑑定)によれば、手術中に血管を損傷した場合の止血法における基本的な操作は、①損傷部位の血管壁を縫合閉鎖する、②出血している血管の出血点を確認し、止血鉗子で止血してこの部分を結紮する、③出血点を確認し、電気メスにより焼灼止血する、④出血点が明らかでない場合は、出血点近傍の軟部組織とともに縫合糸で縫合止血する等であることが認められる。

そして、証拠(証人D)によれば、肝動脈右枝又は胆嚢動脈から比較的大量の出血があった場合には、右の止血法のうち、①又は②の方法で損傷部位の血管壁を縫合閉鎖又は結紮する必要があることが認められる。

ところで、証拠(乙四の一、六の二、証人B及び同A)に弁論の全趣旨を総合すれば、右のとおり出血点を確認した上、固有肝動脈の右側壁のみを縫合止血したと認めるのが相当である。

もっとも、証拠(乙二、五、鑑定)によれば、本件手術の手術記録中には、止血の状況が記載されているものの、止血した血管については図示されておらず、「プリングル法を行い、出血点を四―〇ナイロン糸で縫合して止血を行った。」と記載されているのみで、その詳細な記録がないことが認められるけれども、証拠(証人A)によれば、本来右のような記載をすべきところ、これを失念したものであることが認められる一方、証人Bは、胆嚢動脈の右側壁を縫合止血した状況を具体的に証言しているから、右のとおり縫合止血された(これは、前記①の止血方法である。)と認めるのが相当である。

(四) さらに、縫合糸の太さについて検討するに、前記のような本件手術の経過に、右(二)及び(三)の各事実を総合すれば、B医師は、固有肝動脈の右側壁を四―〇ナイロン糸で縫合止血したと認められる。

ところで、証拠(甲六、証人B及び同D)によれば、血管縫合を行う場合の縫合糸の太さは、一般に、大動脈では二―〇ないし四―〇のもの、中小動脈では五―〇又は六―〇のもの、細動脈では七―〇以下のものがそれぞれ適当とされること、固有肝動脈や胆嚢動脈は、右のうち中小動脈に属するものであることが認められる。

そうすると、B医師が固有肝動脈の右側壁を四―〇ナイロン糸で縫合止血したことについては、縫合糸が太すぎたという余地があり、現に証人Dも、自分であれば五―〇ナイロン糸を使用したと思う旨証言している。

しかしながら、証拠(証人B)によれば、血管縫合を行う場合の縫合糸の太さについての右のような基準は、一般的なものにすぎず、実際には具体的な事情によって異なり得るものであること、太郎の場合には、高血圧によって動脈硬化が進んでいることが懸念され、細い縫合糸を使用すると、かえって結び目で切れてしまう恐れがあったため、四―〇ナイロン糸で縫合止血したことが認められるから、B医師が四―〇ナイロン糸で縫合止血したことをもって、明らかに不適切な止血処置であったものとは認め難い。

したがって、被告病院の担当医師の出血に対する処置について過失があった旨の原告らの主張は採用できない。

3  輸血について

前記のとおり、本件手術中における太郎の総出血量は、約二二〇〇ミリリットルであった。

ところで、前記のような本件手術の経過(別紙臨床経過書を含む。)に証拠(乙二、五、証人B、同A及び同D、鑑定)を総合すれば、太郎に対して実施された輸血の成分は、赤血球濃厚液(全血四〇〇ミリリットル採血により赤血球分のみを抽出したもので、赤血球は全血四〇〇ミリリットルに相当する。)であったこと、被告病院の担当医師は、太郎に対し、これを麻酔終了時点までに三パック輸血し、四パック目を輸血途中であったこと(したがって、本件手術中の輸血量は、一六〇〇ミリリットル弱であり、本件手術の手術記録《乙二、五》の中に、輸血量が七八〇ミリリットルと記載されているのは誤りというほかない。)、本件手術終了時(本件手術当日午後零時三五分)における太郎の血圧は一四〇/七〇で、心拍数は一二五であり、バイタルサインとしては特に憂慮すべきものではなかったこと、被告病院の担当医師は、太郎に対し、輸血前に代用血漿剤サビオゾールを一〇〇〇ミリリットル使用したほか、合計で約二八〇〇ミリリットルの輸液をするとともに、本件手術後には、術中とは別途に赤血球濃厚液を三パック輸血したことが認められる。

そうすると、太郎に対する輸血量が不足であったと認めることは困難であり、この点についての原告らの主張は採用できない。

4  術後の観察及び処置並びに太郎の死因について

(一) 本件手術後の太郎の臨床経過は前記第二の一の5のとおりであり、右事実に、証拠(証人D、鑑定)を総合すれば、本件手術後の太郎に対する観察の手順は、観察時間間隔、血圧、心拍数等のバイタルサインのチェック、血液検査、ドレーンからの浸出物のチェック等一般的に行われる方法で行われたことが認められる。

しかしながら、前記のとおり、太郎は、血圧が本件手術当日午後五時一五分急激に四二/―触知不能にまで低下した後、同日午後一〇時二三分に心停止を来し、心拍数回復、再び心停止という状態があった後、翌九月一四日午前二時五二分死亡したものであるが、右血圧の低下及び太郎の死因について、原告らは、出血性ショックによるものであると主張するのに対し、被告は、心原性ショックによるものである旨主張するので、以下検討する。

(1) 証拠(証人D、鑑定)によれば、本件手術中に前記のような形で止血処置が行われたとしても、その止血方法は、いわば特殊な止血方法であり、いったん止血が完成しても、その後に再出血する可能性を否定できないことが認められる。現に、証拠(乙二)によれば、担当医師も、本件手術の終了時に、カルテに「アフター・ブリーディングに注意」と記載していることが認められる。

(2) ドレーンからの浸出液についてみるに、証拠(乙二、鑑定、証人D)によれば、太郎が術後病室に戻った当日の午後一時一〇分ないし午後一時四〇分ころにおいて、ブリーディング八四グラムと記載され、同日午後二時三〇分において、術後総計二〇四グラムと記載されていること、ブリーディングは、通常、出血を意味することが認められる。

被告は、ブリーディングは血液が混じったという意味、すなわち血性であって、出血という意味ではないと主張する。しかし、証拠(乙二、鑑定、証人D)によれば、血性であっても洗浄液で希釈された場合、普通、浸出液淡血性と記載し、ブリーディングとは記載しないこと、担当医師の記入した乙二のカルテについて、他の箇所に記載されているブリーディングは、出血の意味であることが認められることからして、被告の右主張は採用できない。

(3) 次に、血液検査によるヘモグロビンの数値、ヘマトクリット値などについてみるに、証拠(甲七、乙二、六の二)によれば、血液検査の結果、手術後の同日午後二時三〇分、ヘモグロビンが15.8グラム/デシリットル、ヘマトクリットが44.8パーセント、同日午後四時にヘモグロビンが15.9グラム/デシリットル、ヘマトクリットが41.6パーセントであったところ、太郎の血圧が急激に低下したので、直ちに血液検査をしたが、その結果においてもヘモグロビンが15.7グラム/デシリットル、ヘマトクリットが40.8パーセントであって、急性貧血に特徴的な所見が認められなかったことが認められる。

しかしながら、証拠(甲七)にれば、ヘモグロビン数の減少、ヘマトクリット値の低下などは、出血に引き続いて細胞間液が血管内へ動員され、血液が希釈された結果であるから、出血直後では全血液量は減少していてもヘモグロビン数やヘマトクリット値に著変がない場合があるので注意が必要であることが認められる。そして、証拠(鑑定)によれば、鑑定人D医師も、血液検査所見でも即座にその貧血が反映されないことがあるから、検査成績が正常範囲であったことは、急な出血の場合は必ずしも出血がなかったという根拠にならない場合があるとの意見を述べていることが認められる。

(4) 証拠(乙二、鑑定)によれば、同日午後七時ころ、ヘモグロビンが8.5グラム/デシリットル、ヘマトクリットが24.4パーセントに急激に減少しており、この検査結果は、腹腔内に相当量の出血があったことを示すものであることが認められる。

証拠(証人B)によれば、担当医師は、右出血がDICによると理解していることが認められるが、証拠(鑑定)によれば、この午後七時の出血について、DICであることを積極的に窺わせる診療上の記録はないこと、また、一般的にはこれほど短時間では発症しないと考えられること、DICであれば、消化管内などへの出血もあり得ると思われるが、その記録もないことが認められる。

また、被告は、心マッサージ実施が止血縫合部位、胆嚢床剥離部分等からの出血を惹起した可能性が高いと主張する。しかし、乙二の入院診療記録にそのような記載は窺えず、担当医師のBの証人尋問の結果中にもそのような趣旨の供述は存しない。

(5) 証拠(甲一七の二、一八ないし二〇、乙一、二、四の一、六の二、証人B及び同A)によれば、太郎は、本件手術以前から高血圧症及びWPW症候群を患っており、その治療を受けていたこと、太郎の死亡の原因について、担当医師は、手術侵襲、薬剤投与等の種々の要因によりWPW症候群から上室性頻拍(PSVT)になり、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)を来したと考えていることが認められる。

しかしながら、証拠(証人B及び同D、鑑定)によれば、WPW症候群から上室性頻拍になったかどうか、心電図の記録からははっきりしないこと、DICは、心原性ショックによって起こることもあるが、大量出血が原因となってDICを起こすこともあることが認められる。

(6) 前記のとおり、同日午後四時三〇分ころ、太郎が「暑い、暑い。」と訴えたため、被告病院の担当医師がボルタレン座薬五〇ミリグラムを投与したが、証拠(甲二一、乙八)によれば、ボルタレン座薬は、まれに血圧低下、冷汗等のショック症状が副作用として現れることがあることが認められ、被告は、前記血圧低下もこの副作用が大きく関係している可能性があると主張する。しかしながら、これを直後裏付ける診療上の記録は存しない。

(二) ところで、証拠(鑑定)によれば、鑑定人D医師は、太郎の死亡の原因について、次の三つの場合が推定できるとしている。

① 術中出血が直接死因とは考えにくいが、手術侵襲自体あるいはこの出血に伴う術中の一時的循環動態不良が、術後WPW症候群に伴う上室性頻拍を誘発した遠因は否定できない。

② 診療録の記載のみでは断定は困難であるが、帰室後比較的短時間に術中止血部位の破断など何らかの理由による大量の出血があり、これが看過され、血圧低下と上室性頻拍を誘発した可能性は否定できない。

③ 出血は全くなく、突然、上室性頻拍を発症し、これを救命できなかった可能性も否定できない。

そして、①及び③の場合は、突発的な上室性頻脈から心室細動に移行したとすれば、救命はかなり困難であったと推量する。しかしながら、②の場合は、術後の出血が死因となる。そして、大量の術後出血が全くなかったとするに十分な積極的根拠となる資料はみられず、かえって前記(一)の(2)ないし(4)の所見等が存する。したがって、再手術もしくは何らかの術後出血は全くなかったとする説得力のある新たな根拠が提出されない限り、②による死亡は完全には否定できないとする。

(三) 以上、認定、説示したところに右鑑定意見を併せ考えると、太郎の帰室後比較的短時間のうちに、術中止血部位の破断等の何らかの理由による大量の出血があり、これが看過され、午後五時一五分の血圧低下を来し、その後上室性頻拍を誘発したものと推認するのが合理的である。したがって、太郎の死因は、本件手術後の腹腔内出血であったと認めるのが相当である。

なお、証拠(甲七)によれば、出血性ショックでは循環血液量が減少し、中心静脈圧は五センチメートルH2O以下に低下し、多くの場合ほとんど零になることが認められるところ、前記のとおり同日午後八時一〇分における太郎の中心静脈圧は、九センチメートルH2Oであって、異常といえるものではなかった。しかしながら、証拠(甲七)によれば、中心静脈圧は、出血性ショック診断に不可欠でないことが認められる上、本件手術後の午後五時一五分の急激な血圧低下の前後に太郎に腹腔内出血が生じたことを直接裏付ける所見が認められるのであって、これらの事実に照らすと、その後の中心静脈圧についての右事実は、腹腔内出血の前記認定を左右するに足りないというべきである。

(四) そこで、本件手術後の観察及び処置について、被告病院の担当医師に過失があったかどうか検討する。

前記認定のとおり、太郎の血圧は、本件手術後の同日午後五時一五分、出血性ショックにより急激に低下したというべきである。

そして、証拠(証人D、鑑定)及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告病院の担当医師において、この急激な血圧低下時の早い時期に、超音波検査等をして出血を確認し、輸血等の処置をした上で、開腹止血処置をすることは可能であったことが認められる。そして、このような処置がとられていれば、太郎の死亡という結果を避けることができたと認めるのが相当である。

ところが、証拠(乙四の一、六の二、証人B、同A及び同D、鑑定)によれば、被告病院の担当医師は、右の急激な血圧低下が心原性ショック、すなわちWPW症候群から上室性頻拍となり、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)を来したものであると判断し、その後、これに対する処置に終始したことが認められる。

そうすると、被告病院の担当医師には、本件手術後の太郎に対する観察及び処置について、過失があったというべきであり、かつ、この過失と太郎の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

したがって、被告は、太郎の死亡につき、本件医療契約に基づく債務不履行責任を負うとともに、民法七一五条により不法行為責任も免れない。

二  争点3について

1  逸失利益について

前記のとおり、太郎は、昭和五年一二月四日生れで、死亡当時六〇歳であったところ、証拠(甲一二、一三、原告花子本人)によれば、太郎は、死亡当時、建具製造業を営み、平成二年八月以降は株式会社組織にして、自らは代表者として、月給四〇万円をとっていたことが認められる。

そこで、太郎は、本件手術によって死亡しなければ、その後少なくとも六七歳に達するまで七年間就労可能であったものと認めるのが相当であり、基礎収入を四八〇万円、生活費控除割合を四割として、新ホフマン係数(七年間で5.8743)によって太郎の逸失利益を算定すると、一六九一万七九八四円となる(480万円×《1−0.4》×5.8743=1691万7984円)。

2  慰謝料について

太郎の年齢、性別、生活状況、その他諸般の事情を総合考慮すると、太郎の死亡による慰謝料は、一八〇〇万円と認めるのが相当である。

3  墳墓・葬祭費用について

証拠(甲一〇、一一、原告花子本人)によれば、原告花子は、太郎の死亡に伴う墳墓・葬祭費用として合計二四三万〇五〇〇円を支出したことが認められるところ、このうち同原告の請求する一〇〇万円を前記債務不履行と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

4  弁護士費用について

以上1ないし3によれば、太郎の死亡によって原告らの被った弁護士費用以外の損害は、原告花子について一八四五万八九九二円(逸失利益及び慰謝料について各二分の一、墳墓・葬祭費用について全部)、原告次郎及び同春子について各八七二万九四九六円(逸失利益及び慰謝料について各四分の一)となる。

ところで、原告らは、本件訴訟代理人である弁護士に依頼して本件訴訟を提起したが、本件事案の難易、訴訟の経緯、認容額、その他諸般の事情を総合考慮すると、原告らの請求できる弁護士費用は、原告花子について一八〇万円、同次郎及び同春子について各九〇万円と認めるのが相当である。

三  結論

以上によれば、原告らの請求は、原告花子につき二〇二五万八九九二円、同次郎及び同春子につきそれぞれ九六二万九四九六円並びに右各金員に対する不法行為の日である平成三年九月一四日から支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があり、その余は理由がない。

(裁判長裁判官池田克俊 裁判官能勢顯男 裁判官髙橋善久)

別紙臨床経過書〈省略〉

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